コラム No.81〜90


 No.90
 ◆「やまとなでしこ」はどこへ?

2010/8/30

 私の家の前には公園があります。若いお母さんが、小学3年生くらいの女の子と1年生くらいの男の子を連れ、木陰で休んでいます。お母さんが周りの木や地面を見渡して、「夕べ 雨が降ったんやな…」とひとりつぶやいています。上のお姉ちゃんが、
 「何でわかるん?」
と母親の顔色をうかがうように聞くと、
 「降った言うたら降ったんや!」
この一言で、2人の子供はピタリと黙りました。
 翌日、違う親子連れに会いました。公園の前の通りをこれまた3人で歩いています。お母さんは下の男の子と手をつないでいます。お姉ちゃんは活発な子で、前の方へタッタッタッと走って行きます。「やまとなでしこ」はどこへ?お母さんが、
 「走ったらあかんよ、戻っといで!」
と叫んでいます。娘は戻ってきて、
 「なんで走ったらあかんの?」
と不満気です。
 「ここは車が多いから、けがしたら危ないでしょ」
と言うかと思いきや、娘の腕をつかむなり、
 「あかん言うたら、あかんのや!」
この 一言で、娘はピタリと止まりました。
 お母さんは強い、女性は強い。けれど、みなさんは本当の強さってなんだと思いますか?


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 No.89
 ◆琴平の消防団団長

2010/8/12

 たまに香川県の琴平(こんぴら)さんに帰郷すると、必ず集まってくれる小学校時代の同級生が3人います。その中の連絡係の後藤君から電話が入りました。
 「おい、あきおが死んだぞ!」
 一瞬、何のことかわかりません。
 「あきお…」
 ええっ、花屋の川原昭夫か!?
 われわれはみんなもう70歳ですから死んでも決して不思議ではありませんが、川原に限って…という思いは否めません。元気いっぱいで、琴平町の消防団の団長をしていた男です。明るい世話好きの男です。子煩悩、孫煩悩の男で、孫とカラオケに行くのが趣味だった男です。誰にでも好かれる、笑顔がいっぱいの男でした。
 商売は、親の代からの花屋をしていました。夏の暑い日には花が弱っていないか気になったのでしょう。1人で畑に様子を見に行き、畑の中で倒れていたそうです。毎日そこここで起きている熱中症でした。琴平の消防団団長
 今年の5月に会いました。人なつっこいあの笑顔が忘れられません。心を込めて弔電を打ちました。人望があっただけに、葬儀には大勢の人が集まり、予定より1時間以上も延びたそうです。
 厳しい暑さが続きます。みなさんも灼熱の太陽が照る日には、家の中でも外でも十分に気をつけてください。


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 No.88
 ◆すごい花火

2010/7/27

 7月25日は38℃を超す酷暑でした。天神祭の舟に乗りこんだのは、夕方の6時近くです。舟の数は20隻はあったでしょうか。わが舟には150人ぐらいの人が乗りました。弁当、お茶、ビールをもらってパーティの始まりです。花火大会は暗くなる8時頃からです。
 われわれの舟では、ショータイムに河内音頭が始まりました。演歌歌手の生駒尚子さんが着物姿で登場です。私がそばで「エンヤコラセー、ドッコイセー」と合いの手を入れ、おしゃべりも入れます。司会者はゴリラみたいなおじさんで、横ではしゃいで踊っています。 すごい花火弁当を食べ、ビールを飲み、宴会は盛り上がってきました。行き交う舟同士でエールの交換もあって、「大阪一本締め」という拍手を送りあったりしています。
 さあ、花火の時間になりました。
 ドーン!ビューン!バンバンバーン!
 きれい。音がすごい。こんな至近距離で見るのも、音を聞くのも初めてです。打ち上げた花火の玉穀(たまがら)が落ちてくるのと違うか?とみんなが心配するような迫力でした。


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 No.87
 ◆古希の祝いはしないはずが…

2010/7/14

 ザ・ぼんちのまさと・おさむ、大平サブロー・シロー、幸助・福助たちが、私のために「古希」のパーティをしてくれました。古希の祝い還暦と違って古希の祝いはあまりしない風習があるので、一応辞退はしたのですが、シローと福助の2人が、
 「させてください。親孝行をして、師匠にまたもうひと踏ん張り頑張ってもらいたい」
といってくれたので、その熱意に祝ってもらう決心をしました。
 お世話になっているプロダクションの代表者やお坊さん、新聞記者、後輩のタレントたちが、高い会費を払ってまで参加して盛り上げてくれました。2時間半のパーティの後、2次会、3次会まで続き、家へ帰ったのは午前3時でした。みなさんの温かい励ましに、仕事への意欲が一段と湧き上がりました。
 「みんな、ありがとう!次の喜寿もまた頼むわね!」


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 No.86
 ◆住みよい地域づくり

2010/7/8

 7月6日に、「更生保護を支える人たち」というイベントが奈良の王寺で開かれました。刑期を終えて出所してきた人たちが地域社会に受け入れてもらえるように、保護司やその周りで協力している女性会の集まりです。300人もの人が集まりました。ゲストの講師が私、レツゴー正児です。「漫才師風情がなにをしゃべるねん?」。戸惑いました、悩みました。
 前日に、中学時代の恩師である伊藤先生にアドバイスしていただきました。先生は教員を定年後、保護司を38年務め、会長までされた方です。苦労された数多くの経験談を語ってくださいました。
 「対象者が罪を犯した人であるから、気遣いと思いやりが必要です。場所、服装にも心を配りました。そして相手の目を見つめて一生懸命、真剣に話を聞きました。この真剣さが対象者との信頼の絆となるのです」
 伊藤先生の数々の苦労話を胸に、翌日、奈良の講演会場に向かいました。住みよい地域づくり講演の出だしは明るく軽い話から始まり、私の少年時代の貧乏生活、母の苦労話へと。貧しくても思いやりと優しさを大切にする母の姿に、伊藤先生の熱い話がオーバーラップします。芸人になってからのいじめ等々の話にも熱意がほとばしります。会場の笑い声や拍手が大きくなって盛り上がりました終わりに近づきました。汗びっしょりです。話が終わって、最後のセリフ「また、お会いしましょう!」と頭を下げました。
 お客さんが、「ありがとう!よかったよ」と立ち上がって全員が大きな拍手をしてくださいました。いい講演ができたとうれしくてたまりません。1時間40分もしゃべっていました。


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 No.85
 ◆お礼のハガキ

2010/6/22

 三重県、鳥羽ライオンズクラブの懇親会にゲスト出演し、30分ほどしゃべりました。年輩の貫録ある人ばかりの集まりで、女性の方も2、3人いらっしゃいました。
 昭和の良き思い出の中に懐メロをたっぷり盛り込んで、面白おかしくしゃべっているうちに30分が45分になってしまいました。「もっとやれ!」と喜んでいただいたのが何よりの救いでした。爆笑と温かい拍手の中で舞台を降り、充実感でいっぱいでした。
 それから2日後、礼状が届きました。これまた、うれしい!お客さんが私の舞台を見て礼状を送ってくれるなんて、久しぶりです。今、そのはがきを公開しようとしてるのですが、自慢しているみたいに思えますか?
 …自慢してるんです、見てください。お礼のハガキ


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 No.84
 ◆カシラを偲ぶ会

2010/6/10

 ハリセンで人気のあったチャンバラトリオ。3人でも、4人でも、5人でも、チャンバラトリオでした。カシラを偲ぶ会
  一番年上の、スマートで格好よかった南方さん。「先生」とか「リーダー」とは呼ばれずに、「頭(カシラ)」といって皆に慕われていたのも素敵じゃないですか。
 その南方英二さんが今年2月に亡くなり、6月6日に新大阪のワシントンホテルで「偲ぶ会」が行われました。弟子の大助・花子をはじめ、西川きよし、桂三枝、カウスボタンなどそうそうたるメンバーが勢ぞろいし、吉本一色に染まりました。 そら、吉本興業が主催のイベントですし、発起人代表が社長の吉野さんですから、吉本一色になるはずです。松竹芸能からは2人だけ。レツゴー三匹のじゅんと正児だけでした(長作は東京で仕事)。もちろん、作家の先生やプロダクションの社長も、同じ 時代を過ごした人がたくさん集まり、学校の同窓会のように和やかなムードでした。

 遺影の写真がいい写真で、カシラがニッコリ笑っていました。


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 No.83
 ◆漫才師哀歌4番

2010/5/29

 前回は、若い頃の漫才師哀歌「ごめんねったらごめんね」の1番から3番までを紹介しました。最後の4番はちょっと長いので、今回は4番だけを…。

  4. テレビに出ます 映画に出ます CMもやりますと
    おおきなこと言うてやった仕事は
    商店街やスーパーの前で
    ぬいぐるみ着せられ大声で
漫才師哀歌4番     「大特価でーす!」「5割引!」
    「月に一度のサービスや!」
    「いらっしゃい!」
    もう止めます
    故郷(くに)に帰ります
    4年の下積み長かった
    4年でっせー 4年です
    年が明けたら5年です
    ごねんめったらごねんめ♪

 以上、漫才師哀歌「ごめんねったらごめんね」でした。


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 No.82
 ◆「ごめんねったらごめんね」

2010/5/24

 芸能界に入って46年になりますが、若い頃に何とか売れたいと、コミックソングを作ったことがありました。「ごめんねったらごめんね」という歌です。その頃のことを思い出し、書いてみました。

  1. 学校で人気者 町内会でスター
    きっと芸能界で一旗あげようと
    お父さんやお母さんに
    買ってもらった背広着て
    ちょっとも(いっこも)売れずにごめんね♪

  2. 作家の先生に頭を下げて 高い金払て
    爆笑漫才作ってくださいと
    マネージャーや会社の人が
    頼んでできた台本が
ごめんねったらごめんね     客は笑わずシーンと白けてごめんね♪

  3. 芸能界は売れるまでは 期間がかかる
    芸を磨くよりスポンサー探しで
    社長さんやご隠居さんを
    おだてて作った後援会
    会費使い込みごめんね♪

 4番は長いので次回にします。


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 No.81
 ◆木製の凸凹手すり

2010/5/11

 年をとると足腰が弱くなります。私も長い道のりを歩いたり、階段や急な坂は苦手です。
 先日、住吉大社で結婚式のお祝いパーティがあり、ゲストで招かれました。南海電車の住吉大社駅で電車を降りたの ですが、プラットホームは高架の2階にありました。改札口を出たものの、地上へ降りるためのエスカレーターやエレベーターが見当たりません。すぐそこに長い階段らしきものが見えました。
 「ああ、階段かぁ…」と思いながら仕方なく行ってみると、手すりがついていました。それが鉄パイプのような金属製のものでなく、木目のついた美術品のようなきれいな手すりです。 木製の凸凹手すりしかも波型で凸凹になっていました。つかんでも、つるりと滑りません。しっかりつかめるので体が安定します。足に負担がかからず、楽に降りることができました。ちょっとした工夫ですね。降りてからもう一度振り返って、波型手すりに「ありがとう」とお礼を言いました。
 結婚式の祝辞では、大爆笑のうちに25分もしゃべっていました。
 帰りに駅のホームへ上がるときも、喜んであの波型手すりのところへ行きました。その時、石原裕次郎の歌を思い出しました。
 「夜霧よ 今夜もありがとう♪」です。
 「手すりよ 帰りもありがとう♪」


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