コラム No.151〜160


 No.160
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 14 「最後の講演:後日談」

2016/12/10

父のことを考えると、認知症でも仕事を続けられるのが一番いいと思うのですが、対価を頂く以上、依頼主の期待に添えない状況でお仕事を受ける訳にもいきません。特に講演ともなると時間も長く、テーマが決まっているので、話が脱線して右往左往してしまっては元も子もありません。

もしかすると、認知症の本人が語る認知症に関する講演だったらいいのかもしれないと思い、父に提案してみたこともあるのですが、当時、自分が認知症であることを認めたくなかった父は断固拒否しました。

そんな折、三島での講演から1週間も経たないうちに、ある会社から講演の依頼がありました。さすがに母から断るよう促された父は、主催者に電話をし、のどの調子が悪いと説明したそうです。最終的には認知症のことも伝えたようですが、主催者は病気のことも納得された上で依頼してくださいました。

講演のテーマは、「笑いも仕事もまず健康から 今日から今から」

「自分がやん!」と思わず突っ込まずにはいられませんでした。
しかし、結局この講演は実現せず、三島の舞台が最後の講演となりました。

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 No.159
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 13 「最後の講演:後編」

2016/12/02

少し気持ちを落ち着かせた後、私は母に電話し、講演で起こった一部始終を話しました。今回の出来事で一番悔しかったのは父ですから、母には父を責めずに、普段通りに話してほしいと伝えました。母も「わかった」と約束してくれました。

約3時間後、母から、新大阪で無事父に会えたとメールが届きました。私は安堵の気持ちやら、今日起こったことのやりきれなさやらで、いろんな感情がないまぜになっていました。

その直後、母から再びメールが届きました。父から今日のことを聞いたか尋ねられたので、母が私から聞いたと答えたところ、父はこう言ったそうです。

「40〜50分くらいの講演やったら大丈夫や」

 えっ!? 「講演の仕事はもう無理やな」ってあんなに落ち込んで言ってたのに? そんな父が切なくて、私は三島駅のホームで号泣したのに??? 私の涙の行き場が・・・。

今日の失態をもう忘れてしまったのか、単に能天気なのか・・・。でも、変に引きずるよりも、その方が幸せかもしれません。これがもし認知症によるものだとすれば、病気も悪いことばかりではないと思いました。

その夜、私は主催者にお詫びの手紙を書き、講演を仲介してくれた会社にはギャラを辞退する旨を伝えました。しかし、主催者側の計らいで、後日、ギャラは全額父の口座に振り込まれていました。

関係者のみなさんには、心からお詫びと感謝の気持ちでいっぱいです。

(後日談に続く)

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 No.158
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 12 「最後の講演:中編」

2016/11/19

父の講演を聞くのはその時が初めてでした。それがまさか認知症になってからとは、なんとも複雑な心境でした。私は落ち着かない気持ちで、舞台からドアを1枚隔てたところで父の講演を聞いていました。

スタートは上々でした。声もしっかりしているし、勢いもあります。数十分は調子よく進んでいきました。ところが、ほっとしたのも束の間、話は徐々にテーマから逸れ、「経営」とは全く関係のない話になっていきました。急に時代劇の話を始めたと思ったら、漫才師になる前に勤めていた関西汽船の話をしたり…と脈絡なく話が展開していきます。それらの話も最後まで話しきれず、オチもないまま、話せば話すほど軌道修正がきかなくなっていきました。私の場所からは、聴衆の方々がどういう表情をしているのかまったく確認することができません。ただただみなさんに申し訳ないという思いと、とにかく早く時間が過ぎてほしいといういたたまれなさで、75分間が永遠の時間のように感じました。

これまで90分や120分の講演でもきっちりと話し通せていた父ですが、その日は75分もたたないうちに自ら舞台を降りてしまいました。父は途中、自分でもちゃんと話せていないことに気付いたようですが、どうすることもできなかったようです。最後は謝罪とも言い訳ともつかない言葉を口にしながら、バツが悪そうな表情で私の方に向かって歩いてきました。主催者も聞いていた方々も、かなり戸惑われたことと思います。

講演後、父には控え室で待っていてもらい、私は主催者にお詫びに行きました。苦い表情をされていたように思いますが、誰も父を責めるようなことは一言も口にされませんでした。

会場から三島駅まで送ってもらった車の中で、父は相当落ち込んだ様子で、「もう講演の仕事は無理やな」とぽつりとつぶやきました。私もある程度覚悟をしていたとはいえ、父の話が崩れていく様子を目の当たりにしたことはかなりショックでした。でも、父には努めて冷静に、そして、できるだけプライドを傷つけないように、「そうやな……。講演みたいに長い時間の仕事やなくて、短い時間の余興とかの方がええかもな」とだけ答えました。

三島駅に着き、私は上りの新幹線で帰る予定だったので、父とはそこで別れなければいけませんでした。母には、新大阪で父親が降りる車両のドアの外まで迎えに来てもらうようお願いしていましたが、よりにもよってその時のチケットは「ひかり」ではなく「こだま」でした。つまり、新大阪まで直行ではなく、名古屋で乗り換えが必要です。父が迷わずに乗り換えができるのか一抹の不安を抱えながら、私は大きな紙に名古屋への到着時刻と到着ホーム、乗り換え先の出発ホームと次の出発時刻を書き、切符と一緒に父に手渡しました。

新幹線に乗った父は、窓の向こうからホームにいる私に向かって、少し無理をして笑顔を作り(と感じたのは私の思い込みかもしれませんが)、手を振りました。父を乗せた新幹線が見えなくなった後、ホームに1人残った私は、溢れる涙が止まらず、人目もはばからずに号泣してしまいました。

(次回につづく)

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 No.157
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 11 「最後の講演:前編」

2016/11/4

レツゴー三匹として漫才の舞台に立つことが減ってきた頃から十数年間、父は全国各地で講演活動を行ってきました。その数は数千回にものぼります。市町村や商工会議所のイベント、交通安全大会、学校のPTA集会、敬老会、企業や組合の決起大会や新年会、新入社員の研修会などジャンルはさまざまで、テーマも催しに合わせ、福祉や健康、人生論、経営などいくつもの話題を用意していました。

私たち家族は父の講演を聞きに行ったことはなかったのですが、評判は概ね良かったようで、再び依頼してくれる主催者もいたようです。

ところが、認知症の診断を受ける1年程前から、何度か講演先でトラブルを起こしたことがありました。講演中にテーマとは関係のない話をしたり、主催者を怒らせてしまったりということが続き、クレームもいただいたこともありました。ちょうどその頃辺りから、道に詳しかった父が迷子になることが多くなりました。母は真っ先に認知症を疑いましたが、病院で検査を受けても、老人特有の脳の萎縮は見られるものの、認知症と診断されるまでには至らず、なすすべもないままトラブルや迷子を繰り返す日々でした。

それからしばらく経ち、2014年6月、レツゴー三匹のメンバーじゅんちゃんが亡くなった翌月、とうとう認知症と診断されました。その直後に開催が決まっていた講演の主催者には、辞退させていただくことも覚悟の上で事情を説明しましたが、主催者からは予定通り講演してほしいとお返事をいただきました。もちろん、父を一人で行かせる訳にもいかないので、ちょうど実家に帰省していた私が、講演当日、会場のあった静岡県の三島まで父に同行することになりました。

その日の講演のテーマは、「経営は戦いなり」でした。これまでにもう何百回と講演してきたテーマの一つです。しかし、父は控え室で、講演には関係のないネタ帳を何度も何度も読み直していました。私にも、こんな話がいいんじゃないか、と経営には全く関係のない話をしてきます。不安がふくらむ一方でしたが、そうこうしているうちに講演の開始時刻になりました。

75分間の講演が始まりました。
(次回につづく)

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 No.156
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 10 「体温調整」

2016/10/15

高齢になると暑さを感じにくくなると言いますが、昔は汗かきだった父も、今では夏でも寒いという時があります。水分も自分では積極的に取らないので、夏は熱中症が気がかりです。

とはいえ、7月の真夏日に父と炎天下の道を歩いていた時は、さすがの父も「暑いなあ」とつぶやいていました。私は内心、暑さを口にしてくれてよかったと少しホッとしていました。

家に帰ると、父のシャツは汗でびっしょりです。シャツはユニクロのさらっとした生地で、見た目や手触りも涼しかったのですが、シャツの色が変わるくらい大量の汗をかいていました。体温調整ができなくなっている訳じゃないんだなと思いながら、父が着替えるのを待っていました。

脱いだシャツを洗濯機に入れようとした時、何気にタグが目に入り、一瞬、目を疑いました。そこには、「ヒートテック」の文字が・・・。

えっ、ヒートテック!? 

そりゃあ暑いわけです。母はその時入院中だったので、お見舞いに行った際にその話をしたところ、まったく気づかなかったとのこと。もちろん、すぐにヒートテックはしまって、‘普通の’夏物のシャツに替えましたが、半袖だし、いかにも夏物っぽい生地だったので、世の中にはきっと気づかないまま着ている人もいるんだろうなあと思ってしまいました。

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 No.155
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 9 「テレビ」

2016/9/18

父はテレビを見ながら、やたらと文句を言います。

ニュース番組でアナウンサーが少しでも噛むと「そんなことも言われへんのんか!」と怒ったり、バラエティー番組でゲストが浅いコメントをすると「しょーもないこと言いやがって」と食ってかかったり。そんなに腹が立つなら見なければいいのですが、文句ばかり言いながら見ています。感情の起伏が激しいということを除けば、言っていることはまともです。

かと思えば、海外のテロのニュースを見て、「あそこにわしが映ってる」とか、テレビが逆さまに映ってる(?)とか、とんちんかんなことを言うこともしょっちゅうあります。

そんな父と、母の入院中、テレビを見ながらご飯を食べていました。たまたま認知症の特集番組がやっていたので、一瞬、気まずいかな?と思ったのですが、父は気にする様子もなく見ています。番組では認知症患者さんの再現ドラマが流れていて、電気のスイッチの場所がわからない、トイレの場所がわからないなど、父と同じような症状でとまどう女性の様子が映っていました。

その様子を見ながら、父は女性の行動一つ一つにツッコミを入れています。挙げ句、私に向かって一言、「わからへんねんやて!」
思わず私は、(自分やん!)と心の中で父にツッコミを入れましたが・・・。

その直後、父が私に「あゆみ(←私の名前)」と呼び掛けてきました。
そして数秒後にぽつりと、

「・・・お前、あゆみやったな?」

あまりのオチに思わず私は「えーーーーー!」と叫びました。
わかってるんだかわかってないんだか、たまにこちらが訳がわからなくなりますが、まだ私の名前は覚えてくれているようです。

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 No.154
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 8 「忘れられない夏」

2016/8/16

先月頭、母に脳動脈瘤が見つかり、手術をするというので、実家に3週間ほど帰省することになりました。母の不在中、父の介護と、最近調子を崩していた愛犬ポポの看病をするのが目的でした。

ところが帰省して間もなく、母の手術を目前にして、祖母(母方)の死去、ポポの死去、そして母の退院翌日には兄夫婦の第一子誕生・・・と、悲しいことからうれしいことまでいろんなことが一気に起こりました。その間わずか11日。嵐のような7月でした。

父にとって、家族全員にとって、最も辛かったのはポポの死です。母の入院中に心配をかけまいと死に急いだのではないかと思うほどで、思い出すだけで胸が締め付けられる思いです。両親は今でもふと、ポポがいるように思うことが日に何度もあるといいます。

ポポが亡くなったことで心配なのが、父の症状の進行です。これまでは朝夕、ポポの散歩が日課でしたが、それがなくなってしまうと、動く気力がなくなっていることにさらに拍車がかかるのではないかと気になっています。

一方で、うれしい驚きもありました。母の手術当日、病院の待合室で待機していた私の携帯に1本の電話が。家で待つ父からでした。最近、父は携帯電話の操作ができなくなっていたので、何かの時のために、と何度か練習してもらったのですが、電話を受けることはできても、かけるのは難しい状況でした。それが、突然電話をかけてきたのです。母のことが相当心配だったようで、父は父なりに気を張っていたのだと思います。

手術翌日に集中治療室から一般病棟に移り、母に面会できるまで、父はいつもより‘しっかり’していました。母に面会した途端、あっという間に戻ってしまいましたが・・・。

父が認知症になってから、1ヵ月弱というまとまった期間を一緒に過ごしたのは初めてでした。仕事を持ち帰っての帰省だったので、介護と両立することの大変さを実感しましたが、面白いこともありました。そのエピソードはまた後日。

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 No.153
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 7 「その状況で?」

2016/7/5

 1年ほど前の昨年8月のこと。仕事で取引先へ向かう途中、母からメールが届きました。

 母:おはよう。今、救急車の中。

 私:さと?
 ※注:さとは実家で飼っていたネコ。この時、さとは非常に具合が悪く、とても危険な状態でした。数日後、残念ながら亡くなってしまいました。

 母:(父が)散歩中ポポに引きずられてこけた。出血がわりとあって今処置中。さとも病院へ連れていかなあかんし。ポポは家の部屋へ放り込んできたけど。困ったことだ。

 父が犬のポポの散歩中にケガをしたことは、以前にも何度かありましたが、救急車で運ばれるとはかなり大ケガの様子。意識ははっきりしているということなので、母には一通り検査が終わったら連絡をしてもらうようお願いし、一旦仕事に戻りました。

 そして、数十分後。

 母:レントゲン室から出てくるのに大きな声で歌を歌ってる! もー!!

 血まみれになりながらも能天気な父の言動に、母は怒りが沸々と込み上げてきたようです。でもまあ、とりあえずは無事でよかったということで。

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 No.152
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 6 「シャンプー」

2016/6/11

しばらく前から、父は自分で体や髪の毛を洗うのが難しくなってきています。お風呂場には、ポンプ式のシャンプー、リンス、ボディーソープが置かれていますが、それらを区別するのが難しくなっているのに加え、最近はポンプを押すことさえもしていない様子です。

それでもたまに、シャンプーを使った形跡があるときがあります。ところが、それはほとんどの確率で犬用のシャンプーです。

母は「犬のシャンプーの方が人間のんよりも高いねん!」といつも憤っています。

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 No.151
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 5 「ポポの散歩」

2016/5/21

先日、父が行方不明になった話を書きました(No.150)。以前、朝夕のポポの散歩は父の日課でした。でもいつからか、たまに迷子になり、何時間も家にたどり着けないということが起こるようになりました。そこで、父の居場所がわかるよう、GPSを使って母の携帯から父の携帯を検索できるようにしました。

しかし、一つ大きな盲点がありました。母は極度の方向音痴で、全くと言っていいほど地図が読めません。おまけに、父はじっとしていられない性質なので、迷子になった時に電話でその場を動かないように言っても、じっと待っていたことはありません。それ以前に、迷っているとは認めないので、自力で帰れると言い張って聞いてくれません。

そんなこんなで、結局、父が迷子になった時に母が携帯を使って父を見つけ出せたことは一度もありません。そのたびに、近所の人たちに助けられてきました。今はもう、ポポの散歩は母が一緒に行くようにしていますが、そうなったきっかけは、実は迷子だけではありませんでした。

以下、ある日の母のメールより。

「ポポの散歩はもうやめにさせた リードの紐を手にぐるぐる巻きにして肝心のポポを引っ張る紐の長さが20センチぐらいになってまるでポポをぶら下げて歩いてるみたいで」

20 cmって! ありえへん・・・

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