コラム No.141〜150


 No.150
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 4 「無事帰宅」

2016/5/11

昨日の夜中から、父が行方不明になっていました。これまでにも何度か危ないことがあったので、それなりに対策はしていたのですが、今回は不運にも携帯や財布など身元がわかるものを何も持たずに出て行ってしまいました。母が警察には届け出たものの、連絡を待つしかなく、途方に暮れる始末。

いろんなことが頭をよぎりながら、約11時間が経過した本日お昼頃、無事帰宅しました。たまたま家の前で警察の人とばったり会い、一緒に部屋まで戻ってきたそうです。父本人は夜中から出て行ったことは覚えていないようですが、足の親指に大きな水ぶくれができていたようで、かなり歩き回っていたのではないかと思います。

とにかく無事でよかったです。半日の間にいろいろとご心配・ご尽力してくださった知人・友人、近所の方々、警察のみなさまには心よりお礼申し上げます。

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 No.149
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 3 「フードコート」

2016/5/6

ある日のお昼頃、外出中の母よりメールが届きました。夕方に父を病院に連れて行かないといけないけれど、それまで家にいても気が滅入るからということで、父と2人で近所のイオンのフードコートに行ったそうです。

ところが、父は飲み物を注文しても支払いを忘れてしまうし、たくさんの人が列に並んでいるにもかかわらず、店員さんに話しかけたり…とじっとしていない様子。母は父を見張らないといけないからとメールもそこそこに切り上げました。

それから数分後、母からまたもやメールが。
以下、左が母、右が私。













※注1
ケンタッキーフライドチキンは母の好物です。



※注2
母はステーキが大好きです。



ステーキで気が晴れるのならいくらでもプレゼントするのですが…。

父のケアはもちろん大切ですが、介護する母のストレスのケアがそれにも増して大事だと日々感じます。

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 No.148
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 3 「歯」

2016/4/14

今年初め、お正月休みが明けた頃、母からLINEが届きました。

 母:歯医者へ行ってた 年末にパパの上前歯がずらーっと無くなってて本人はこのままやったと言い張って 入れ歯また作ってもらうため通院

 私:ウケる…

 母:小さい子供におっちゃん歯は? と聞かれてたわ

 私:面白すぎるがな…って、笑い話やないんやけど、その前に気付かへんかったんかいな

母曰く、最近は父の顔をあまり見ていなかったので気づかなかったそうです。くだんの父は、「絶対ずーっと前からこのままやった」と譲らなかったとか。ちなみに、私がその2ヵ月前に実家に帰った時には、父の前歯はまだありました。

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 No.147
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 2 「秀逸なタイトル」

2016/4/3

父が認知症と診断されてから半年ほど経った頃、両親が文藝春秋からインタビューを受けたことがありました。その記事には、診断された時の両親の思いなどが綴られているのですが、インタビュー中に時折、父の話がバラバラとまとまりがなくなっていく様子も上手に描かれていました。

タイトルは、
レツゴー三匹・正児 “認知症を宣告されて”

でも、実際の誌面では、このタイトルの前にサブタイトルがついていました。

ツッコミなのにボケてもうた 認知症を宣告されて“

実にうまいこというなぁといたく感心したのを覚えています。

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 No.146
 ◆レツゴー正児 娘のコラム 1 「家族みんなで笑えれば」

2016/3/27

父(正児)が認知症と診断されてからまもなく2年。症状は確実に進行し、母のストレスは日々増大しています。その間に両親のもとでは飼っていたネコが亡くなり、父のコラムでもたびたび登場した犬のポポが病気を繰り返し(保険がきかないので医療費も莫大)…と、弱り目に祟り目とはまさにこのこと。両親とは離れて暮らしている私ですが、なんとか母の負担を減らしたいとあの手この手を考えるものの、そんな簡単にストレスを減らせるわけもなく。

ただ、気づかされることもたくさんあり、しんどいことが10あったとしても、見方を変えると笑えることが1〜2くらいはあるようにも思います。介護問題はもちろん大変ですが、今思えば、父がまだピンピンしていた頃にも突然借金問題が発覚したり、とタフな出来事はたくさんありました。そのたびに家族みんながてんやわんやになり、心配やら怒りやら悲しみやらいろんな感情が湧きおこりましたが、それでも最後は笑ってなんとかしてきたような気がします。最近、笑うことがめっきり少なくなってしまった父や母が少しでも楽しく暮らしてほしい、それが今の願いです。

認知症のこと、今だから書けること、今でもやっぱり書けないこと…そんな父を取り巻く問題やそれに奮闘するそれぞれの様子をこれから少しずつ不定期に更新していきます。

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レツゴー正児の妻が、認知症と診断された正児との日常生活で感じたことを書き綴った介護コラムです。同じような経験をされている方にとって、少しでも励みになればうれしいです。


 No.145
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 7 「パーキンソン病の疑い?」

2015/2/5

 いつの頃からか、パパ(正児)の手が震えるようになりました。もう随分と経つのですが、最近少しずつひどくなっているのが気になり、病院で相談してみました。すると、ひょっとしたらパーキンソン病の疑いもあるから検査をしてみようとのこと。認知症にパーキンソン病、もしそうだったら介護をギブアップしてしまうかもしれないという不安を抱えたまま、検査の日を待ちました。
 検査当日。病院へ行く途中、パパが「今日は何月何日か」と確認をするので、「今日は認知症の検査ではないよ」と説明します。ところが、その説明自体が理解できてないのか、何度も何度も聞いてくるので、私の頭がおかしくなりそうです。優しく丁寧に説明しなければ・・・と自分に言い聞かせるのですが、毎日同じようなことを繰り返していると、なかなか優しくもできません。パパにも腹が立ち、イライラしている自分にも腹が立ち、いろんなジレンマで日々右往左往しています。
 パーキンソン病の検査は結構時間がかかり、薬を体内に注入してから3時間は時間をつぶさなければいけません。その間、病院の外へ出てお茶をしたり、ウインドショッピングをしたりしながら時間をつぶしていたのですが、パパは何度も帰ろう帰ろうとします。パーキンソン病の検査中ということを忘れているのかもしれませんが、私には、パパが何をするにも根気がなくなっているようにしか見えません。そしてまた腹が立つ。自分にも腹が立つ。
 幸い、検査の結果はパーキンソン病ではありませんでしたが、認知症の家族を持つ人たちは、みなさんどのように日々折り合いをつけて過ごしているのでしょうか?

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 No.144
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 6 「京もみじ」

2015/1/6

 もう10〜15年ほど前のことになりますが、子育てを終えた頃から、パパ(正児)と2人で国内のいろんなところへプチ旅行をし、たくさんの場所を巡りました。
 ある日、日帰りで京都の比叡山へ行った時のことです。当時、パパは写真が趣味だったので、ケーブルカーに乗りながら、あちこちの風景をカメラに収めていました。一方、私はお腹が空いて、風景よりも食べられる所はないかとキョロキョロ。ケーブルカーを降りると、すぐそこに小料理屋さんに続く小路がありました。街中に着いてから食事にしようと思っていたパパはまったく乗り気でなかったのですが、そんなパパの前に、小路からひょっこり2歳くらいのかわいい女の子が現れました。子供好きなパパは女の子となにやら話をしています。そして、女の子に誘われるように小料理屋さんの中へ。私も慌てて続きました。
 家族で切り盛りしているあったかい雰囲気の情緒あるお店で、目にも舌にもおいしいお料理をたくさんいただきました。2歳の女の子のほかに、3歳上のお姉ちゃんもいて、パパは子供たちの写真をたくさん撮っていました。縁があったのでしょう、それから月に一度は食事に通うようになり、翌年には弟くんも生まれました。パパは行くたびにパチパチ写真を撮り、次回訪れた時に前回撮った写真を渡すのが習慣となり、かれこれ7、8年通いました。
 ところが、8年前を最後に、いろんなことがあって訪れるチャンスを失ったまま年月が流れていきました。今ではパパは膝も痛み、遠出するのも大変なので、もう行くことはないだろうと思っていました。そんな中、東京で暮らす娘から、年末にそのお店「京もみじ」を予約したという嬉しい知らせが届きました。
 出町柳当日、パパは久しぶりの電車に、「遠足に行く小学生みたいやなあ」と嬉しそうに車窓を眺めていました。京都に着くと、鴨川辺りをゆっくりぶらぶら散歩しながら、娘に写真を撮ってもらい楽しそうなパパ。そんな明るいパパを見るのは久しぶりでした。
 「京もみじ」では、昔と変わらず家族全員で迎えてくれました。一番上のお姉ちゃんは21歳のきれいなお嬢さんになり、お母さんとともにお店の顔に。当時2歳だった女の子はかわいい18歳の娘さんに。一番下の弟くんもキリッと男前の15歳になっていました。お料理も昔と変わらずとてもおいしく、目にもきれいで、本当に夢のような1日でした。そして何より、前回の訪問時に撮った写真を8年越しで渡すことができました。15歳の弟くんは、写真の中の小さな男の子をはにかんだ顔で眺めていました。

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 No.143
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 5 「散髪」

2014/11/29

 パパ(正児)が交通事故に遭い、頭を10針縫ったことは先日のコラム(No.141)にも書きました。
 その後、抜糸の日を迎え、散髪屋さんに行きました。「かさぶた部分には触れずに短く切ってください」とお願いし、散髪後はパパもさっぱりした様子で嬉しそうでした。
 そして先日、また髪の毛が伸びてきたので、再び散髪屋さんへ。その時にはすでにかさぶたもなくなっていたので、「短くしてください」とだけ注文しました。散髪が終わりそうな頃を見計らい、パパをに迎えに行ったところ、散髪屋さんが私を呼んでいます。何かな?と思いながら近寄ると、
 「これ、糸が1本残ってると思いません?」
 「!?」
 「前はかさぶたがあって気づきませんでしたけど、ひょっとして、これだけ抜糸し忘れたのでは?」
 私はさてどうしたものかと思いながら、「病院へ行かなあかんかな?」
とブツブツ。もちろん、散髪屋さんに糸を切ってもらう訳にもいきません。

 病院へ行ったところ、主治医が出張中だったため、別のお医者さんが対応してくださり、忘れられていた1本をきれいにとってくれました。医師や看護師さんなどその場に居合わせた人たちは少々バツの悪そうな顔をしていましたが、パパの頭は今度こそさっぱり。いえ、私の方がスッキリ頭が軽くなったような。

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 No.142
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 4 「お笑いじゃないテレビ出演はイヤ?」

2014/10/30

 今月10日に発売された 文藝春秋の11月号で、'世界の「死に方」と「看取り」’という特集が組まれています。その中に、認知症の取材を受けたパパ(正児)と私のインタビュー記事が掲載されました。
 その反響でしょうか、最近、いくつかの報道番組から、認知症関連の取材の申し込みをいただきました。テレビを見ていても、最近は認知症を取り上げる番組が増えています。そういう番組を私は興味深く見るのですが、パパは明らかに拒絶反応を起こします。やはり抵抗があるのでしょうか。そんな状況なので、テレビの取材のお話をいただいいても、パパは首を縦に振りません。私としては、パパが認知症であることの葛藤やいろんな思いをテレビで話すことで、他の患者さんやそのご家族の方たちの励みになるのではという思いもあり、できればオファーを受けてほしいと思っているのですが、パパは「いや!」の一点張り。挙句の果てには、取材を受ける受けないで怒り出す始末。
 何気ない日常生活の中で、パパは些細な動きや易しい作業でもつまずいてしまうことがあります。それを見て、本当はもっと理解しないといけないのでしょうけど、24時間365日一緒にいれば、腹が立つこともしょちゅうあります。そんな私にパパはまた開き直ったりで、お互いに思いやりなんて難しい・・・。認知症の家族を抱える人たちは、皆相手に優しく、思いやりの気持ちを持って接しているのでしょうか? そんなことはないのでは? 毎日のことだから、きれいごとでは済まない筈・・・等々。自分に言い聞かせたり、開き直ったり、自己嫌悪に陥ったり・・・と私も日々葛藤しています。
 一進一退の毎日。そんな中でいただいた取材の依頼は、今はパパの気持ちを尊重してお断りしています。いつかパパが納得できれば、そういった依頼も受けてほしいと思っているのですが、その時にはもう症状が進行して、質問の意味も理解できないようになっていたら何の役にも立たないなあ・・・などと、歯痒い思いでいるのも事実です。

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 No.141
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 3 「ある朝とある夜の出来事」

2014/10/4

 先月のある朝、パパ(正児)がポポの散歩に出かけている時、携帯が鳴った。画面にはパパの文字。ところが、電話に出ると、聞き覚えのない声がする。

 「おそらくご主人と思われる人が交通事故に遭って、救急車を待ってます。犬は救急車に乗れないので、奥さん、すぐに来られますか?」
 「??・・・えっ、犬は無事ですか? 本人は?」
 どちらが心配なのか、自分でもよくわからない。

 「意識がないみたいで・・・」
 「!?」「すぐと言っても15分ぐらいかかります。ところでお宅さまは?」
 「通勤途中の通りがかりの者です」

とまあこんなやり取りがあり、取るものもとりあえず現場に駆けつけた。すると、パトカー数台、警官数名、救急車も到着して、ものものしい雰囲気。なのになぜか、パパの容体は気にならず、救急車の中へ入れてもらって、意識を取り戻していたパパに一声。
 「なんでこんなことなってんのん? あかんやんか!」

 数年前から自転車で転倒してケガをするようになってから、子供たちにも、もう自転車に乗らないでと何度も言われていたのに、膝が痛いということを口実に、これまで聞く耳を持たなかった。その結果、このありさま。よく見れば、頭からも出血している。けれど、本人は事態の深刻さをわかっていないのか、反省している感じもない。

 結局、頭10針、肘4針を縫う大ケガだったものの、入院することもなく、事故に遭った日の昼過ぎには家でテレビを見ていた。反省の言葉もごめんの一言もなし!?
 その日から病院通いやら警察やら現場検証やらで、この数週間はパパも私もヘトヘト。年のせいもあって傷の治りが遅く、病院通いはいまだに続いているが、さすがに今回は痛い思いをしただけに、もう自転車には乗っていない。

 とある夜のパパ。
 「ポポ、散歩、どこへ連れて行くんやったっけ? 病院どこやった?」
 「?!?! もう寝る時間やで。今日の用事は全部終わってる」
 「???」
パパの疑問符は本当の疑問符。自分が何を言いたいのかも疑問みたいだ。

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