コラム No.131〜140


 No.140
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 2 「膝にキズ、心にトゲ?」

2014/7/24

 パパ(正児)が外出先より帰宅。膝から血がダラダラ流れている。
 「なんで?」
 「チャリが溝にはまってこけた」
 「??」
 夏の夕方前、まだ日は高く、見通しの良い場所で、お酒も飲んでいないのに溝にはまった?
 自転車で倒れたと聞いた瞬間、真っ先に頭をよぎったのがポポ(犬)のこと。幸いポポは身のこなしは完璧で、無傷。
 パパはどんな時でもポポを思って行動する。そんな優しさを少しは私にも向けてくれれば、私もそれに応えることができるかもしれないのに、そうは問屋が卸さない。どれだけながーく、共に生活をしていようと、たまには「ありがとう」の一言を欲しいと願っている私が甘すぎるのか。この先も2人の生活、「あーあ・・・」とため息をついているのは果たして私だけか?
 日本男児よ、外国人を見習え! 嫁にはうわべだけでも優しく思いやりを・・・。

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 No.139
 ◆レツゴー正児 妻の介護コラム 1 「診断」

2014/6/16

 長い間お休みさせていただいていたホームページを再開しようと思います 正児に代わり、私、妻が書いていこうと思いました。と言いますのは、この6/3、正児は病院で認知症と診断され、その思いをどこへぶつければいいのかわからなかったからです。

 実は2年前頃から、日常生活で気になることがあり、いくつかの病院でMRIを撮ってもらっていたのですが、医師からは「老人独特の脳の画像なので、このまま様子をみましょう」と言われるだけ。正式に診断されることも、もちろん薬を処方されることもありませんでした。

 それでも正児の日々のことは、私が一番わかっている。やっぱりおかしい。。。そう思いながら毎日を過ごしていました。しかし、納得がいかず、特に最近の正児の生活ぶりを観察していて、これはやはりもう一度検査を受けなければと思い、今月検査を受けたのです。結果、認知症と診断され、アルツハイマー型認知症治療薬が処方されました。

 それらしい症状は目の当たりにしていたものの、認知症がどういうものかを正しく理解してこなかったので、この先、この病気と向き合っていくのかと思うと、とてもショックでした。今までできていたことができない正児を見てイラッとする。悪循環の始まりでした。しっかりしている時とそうでない時の繰り返し。「もーいやっ!」と叫ぶ回数も増え、この先どうしたら。。。

 そんな状況が続くある日、以前から決まっていた劇場に立つ日がやってきました。持ちネタ10分、ウケていたみたいです。それは本人にとっては嬉しいこと。でも、そんな喜びも束の間、松竹芸能から1本の電話が入りました。ネタがまとまっていないというクレームです。「えっ、たった10分やのに話がバラバラ ?」。。。 その前の週、75分の講演をきちんとこなすことができず、お仕事をいただいた先にもご迷惑をおかけしたばかりで、もう講演の仕事は受けられないということを痛感した矢先の話でした。でも、本人も家族も、講演は難しくても、短時間の寄席であればまだ大丈夫と思っていたのです。

 劇場から帰ってきた本人に、告げることはできませんでした。本人も認知症と診断されたことは知っていますが、仕事に対する思いは人一倍あるので、何と言えばいいのか。。。

 これから認知症との闘いが始まるのでしょう。日本の認知症患者は440万人と推定されているそうです。母の介護さえ世間並みにできていない私に、果たしてパパ(正児)と向き合うことができるのか ? 重い課題です。

 でも、重い中にも、思わず吹き出しそうな出来事もあります。この先、私が見て感じたままを、このコラムに書いていこうと思います。文章など書いたことのないの生活を送ってきた私に一体何が書けるのか、不安だらけです。しかし、書くことの不安より、正児の病が一体どうなっていくのかということの方が不安です。正児も私もこの病気のことは理解できていません。これから学ぶべきことがたくさんあるでしょう。周囲の人に教わりながら、頑張りすぎず、生活をしていけたらと思っています。

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 No.138
 ◆ありがとうございました

2013/9/30

 いつも連れ歩いている愛犬のポポが、今日9月30日で10歳を迎えました。73歳の私ともども、おじいです。道で会う人に近況を聞かれても、病院通いの情けない話ばかり。
 今は大阪ミナミのど真ん中、心斎橋近くに住んでいますが、若者の多い喧騒の街ということもあり、日常生活ではなかなか味わいのあるいい話が少なくなりました。長年住み慣れた街ではありますが、このたび、引っ越しすることにしました。私が中学、高校時代を過ごした大正区へ戻ります。ありがとうございました

 このコラムを読んでくださっていたみなさまには大変申し訳ありませんが、2007年からゆるい感じで続けてきた連載を、一旦お休みさせていただきます。
 またいつか、もっと味わいのある話ができるときまで。ありがとうございました。


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 No.137
 ◆おまえ100まで、わしゃ99まで

2013/7/21

 8月です。もうすぐ私も73歳です。自分で言うのもいやですが、白髪のオジンになりました。何度も自転車で転んで怪我をしたのがいけなかったのでしょうか、右足のひざが疼いてちょっとだけ足を引きずって歩いています。骨盤も傷んでるんでしょうね。同じ姿勢で長時間眠れません。
 でも、仕事だけは決してさぼりません。1時間30分、大声でしゃべり倒します。無駄な経費をなくすため、地方でもどこでも一人で飛んで行きます。衣装鞄を肩にかけ、シューズケースを両手でぶら下げ、プラットホームをトコトコ走っている(歩いているように見えるかも)チビクロのオジンを見かけたら、それは私です。おまえ100まで、わしゃ99まで
 私生活では愛犬(トイプードル♂)のポポが生きがいです。こいつも年をとりました。散歩時間も短くなりましたが、懸命に私のうしろをついてきとります。可愛いヤツです。
 オジンのポポとオジンの正児で熱中症に気をつけながら毎日散歩しています。


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 No.136
 ◆また事故ってしまいました

2013/6/8

 大阪の堺筋の四つ角で事故を起こしました。自転車の前かごに愛犬のポポを入れて信号を渡っているときに、前を走っていた赤いバイクが急ブレーキをかけたので、真後ろを走っていた私は思い切り転びました。
 「しまった!」と思うと同時に目線はポポを追っていました。ポポは飛び降りてきょとんとしています。不幸中の幸いです。「よかった!」と思ったら今度は自分の体があっちこっち痛み出しました。手も足も腹も背中も痛い、血も出ています。赤いバイクに乗っていた若者は、自身の正当性を訴えてわめいています。体はあちこち痛い。さあどうする。
 目の前にちょうど南警察署があったので、「えーい」と思って飛び込みました。と、ここでどういうわけか、昔、戦争中に空襲警報が鳴って防空壕へ飛込んだことを思い出しました。なんとも言えない不安やら怖さやら・・・体の痛みじゃなくて心の痛みでしょうか。

 警察官が言うには、自動車絡みの事故ではないから自分たちで解決しないといかんのだそうです。また事故ってしまいました年をとるとは何と残酷なことか、身体も心も弱くなり、運動神経も 鈍る。ええことなんか何もないなー。

 あくる日、また懲りずに新しい自転車を買いに行きました。途中、嫁に文句をたらたら言われたことが、より一層心の痛みを増しました。それでも何よりポポが無傷で本当によかった!そして私の傷には、娘の会社のバンドエイドが重宝しています。キズパワーパッド、傷の治りがはよおまっせ。


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 No.135
 ◆医療のイラスト?

2013/5/15

 私は子供の頃、何をさせてもできない泣き虫のあかんたれでした。小学3年生の時、鈴木という復員してきた先生の指導で「絵がうまいね」とほめられたのがきっかけで、絵を描くことが大好きになりました。学校の展覧会に金賞で貼り出されたり、朝礼で全校生の前で表彰されたりもしました。「やる気満々、やればできる!」の気持ちが芽生えた瞬間でした。貧乏で着るものもなく、食べるものも粗末な少年時代でしたが、イラストを描いている時は幸せでした。
 老年時代に入った今もイラストには縁があり、娘の元仕事先からの「誰かカットを描いてくれる人いないか?」というリクエストに厚かましく仲間に入れていただき、楽しく挿絵を描いています。“シナジーWebマガジン”という、医者や看護師、薬剤師など病院にかかわる人たち向けのホームページで、読み物の連載コーナーなどもあります。医療のイラスト?私がお手伝いしているのは「レツゴー正児の医療イラスト素材集」 というコーナー。医療イラスト素材という名前がついているにもかかわらず、時々独りよがりの訳のわからん絵もあるかもしれませんが、自由にダウンロードして使ってください。
 宣伝ついでに、書籍『医学英単語〜リズムでしみこむ、ゴカンでひらめく』にもイラストを描いていますので、ぜひ書店で手にとってご覧ください。


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 No.134
 ◆昭和の名画「二十四の瞳」

2013/3/31

 終戦直後の貧しい日本の心意気をとらえた映画『二十四の瞳』を見ました。田中裕子主演のリメイク版ではなく、初めて映画化され、1954年に公開された、木下惠介監督、高峰秀子主演の作品です。もちろん白黒で、音声も聞こえにくいのですが、恩師を慕って教え子たちが集まってくる感激の名画です。
 不本意ながらも「お国のため」という大義名分の下、戦場へ追いやられる若い教え子に「皆元気で帰ってきてほしい。危ない所へは行かないで」と涙ぐむ先生の優しさ。それでも戦場へ向かわなければなりません。
 戦争が終わり、「生きている人だけでもいい、集まろう」と先生を中心に教え子たちが学校に集まります。前の黒板には、子供の頃の写真が貼ってあります。その時、戦争で失明した男の子が入ってきました。皆はあわてて写真を隠そうとします。しかし、その男の子は
 「いいよ、子供の頃の写真だろ?僕はこの写真が大好きなんだ」
と説明を始めます。
 「僕は真ん中にどんと立っているからこの辺か?そして右側に○○ちゃんがいて、左に××ちゃんが大きな口で笑ってる」
とひとりひとりを指差しながら、細かく説明するのです。彼の記憶はすべて正確です。バックには童謡の「故郷(ふるさと)」が静かに流れています。集まった生徒たちは涙を浮かべて思い出に浸ります。
 そのテレビを見ている私も、愛犬のポポを抱いて画面を見ながら涙を拭いていました。
昭和の名画『二十四の瞳』


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 No.133
 ◆夢と希望と憧れと

2013/2/16

 現在、レツゴー三匹は一緒に仕事をしていません。じゅんはお芝居やドラマに出ています。長作は津軽三味線を弾いたり、演歌やおしゃべりも頑張っています。
夢と希望と憧れと
 私は剣道の話題を中心に、「やる気のある人間つくり」を論じています。お年寄りの多い時は懐メロ大会になってしまいます。これが今、ウケけています。
 あの歌、この歌、幼い頃の思い出を懐メロに込めて・・・。生活は貧しかったけれど、心は豊かでした。笑いのある社会風刺を交えながら、昭和のいい話をたっぷり聞かせます。客席で一緒に歌ってくれる皆さんの声に励まされて、 夢と希望と憧れを歌に込めながら、正児節はさらに盛り上がります。


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 No.132
 ◆天災は忘れた頃にやってくる

2013/1/13

 大正時代の物理学者、寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」と格言を残しています。これは大きな禍でショックを受けた人でも、月日が過ぎるとケロリと忘れている事を戒めているのです。
 私は2012年は散々でした。大きな自転車事故が2回あって、手や足や頭が傷だらけになりました。その上、白内障の治療や抜歯のために、眼科、歯科通いも続きました。病気の当たり年です。天災は忘れた頃にやってくる
 「今年こそは」と2013年を迎えました…が、しかし、戎さんの祭りが始まらないうちに自転車にぶつかられました。犬のポポと散歩中、近所の公園から道路へ出た途端、フルスピードで逆走して来たサラリーマンに出くわしたのです。出勤を急いでいたのでしょう。私の自転車がぶっ飛んで壊れ、ハンドルが歪んで私の右脇腹に食い込んだまま、私は5分程動けませんでした。「そんなことよりポポは大丈夫か?」と探すと、後ろの方で素知らぬ顔でオシッコをしていました。
 寺田寅彦の「天災は…」ならぬ、「転災は正月ごとにやって来る」


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 No.131
 ◆今年最大のニュース

2012/12/15

 もう12月、今年最後の月です。今年もいろいろなニュースがありました。なかでも心に残ったビックニュースは何だったでしょうか?
 私にとってのビッグニュースは、歌舞伎の18代目中村勘三郎さんの訃報でした。57歳の脂の乗りきった「若き死」が大ショック でした。連日、ニュースを食い入るように見ました。そのなかでも、香川県のこんぴら歌舞伎のシーンは忘れられません。私が小学校の頃に育った琴平にある金丸座が映っていました。
 しばらくして電話が入りました。
 「あんなええ人が・・・なんでまた早う死んでしもたんじゃろか、ほなけんうっちゃ・・・」
と同級生のみえちゃんが讃岐弁で泣いています。彼女は以前、市の職員として金丸座を担当していました。

 18代目勘三郎は、「もっともっといい歌舞伎を、感動を与える芸を・・・」と歌舞伎に全身全霊を捧げていました。実姉・波乃久里子さんの存在も、中村屋を背負う勘三郎にとっては大きな存在だったでしょう。稽古の時は実に厳しく、そうして芸が息子に受け継がれていきます。近い将来、小さな孫が初舞台を踏む時に、勘三郎が共に舞台に立てないことがとても残念です。 18代目中村勘三郎の急逝

 今年いろいろあったニュースの中で、山中教授のノーベル賞受賞より、北朝鮮のミサイル発射より、わが家ではこれが最も大きなニュースでした。嫁と娘は勘三郎の大ファンなので、そのショックは相当なものです。
 私は歌舞伎役者にはなれませんが、自分なりに細々と家事を手伝いながら、一家を応援しています。


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