コラム No.11〜20


 No.20
 ◆4歳になりました

ポポミニ
2007/11/17

 このコラムでも何度かご紹介しているわが家のトイプードル、ポポは早いもので9月で4歳になりました。体も大きくなり、体重は5kgキロ近くありますが、生後3ヶ月でわが家へやって来た時から食べ物には気を配っています。やればいくらでも食べるので、5kgを超えないよう、人間の食べ物は与えないようにしています。おかげで4.8kgあたりで何とか止まっています。
 最近よく、「大きくなりましたねぇ」と言われます。毛が伸びて、フワ〜ッとしているので、大きく見えるみたいです。
 2、3日前、公園を散歩していた高校生の男の子が、ポポが走ってるのを見て、「あっクマや、クマが走ってる!」と騒いでいました。4歳になりましたすぐ逃げてしまうあかんたれのクマです。
 今日は私がポポをだっこして、JR難波駅の階段を上がっていると、女の子が振り返って、「ネコや、かわいいいネコ抱いてる!」と言っていました。
 「おい、今日はネコやて…お前も忙しいなぁ」と思わず苦笑いです。そのうち、「キリンや」とか「クジラや」とか言われる日も近いことでしょう。


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 No.19
 ◆♪エンヤコラセー、ドッコイセー!

2007/11/6

 スポーツの中では、相撲とボクシングが好きです。
 10月の中席、15日(月)〜21日(日)の7日間、天満の繁昌亭という小屋に出演することが決まりました。その時の出し物として、相撲のネタをしようと考えていました。浪曲師の京山幸枝若(こうしわか)(先代)さんの十八番芸、名大関「雷電為右ヱ門(らいでんためえもん)」の話です。それを河内音頭に乗せて、自己流で面白おかしくするのです。エンヤコラセー、ドッコイセー!
 1ヶ月間、練習しました。朝夕のポポの散歩の時も、「♪エンヤコラセー、ドッコイセー」。電車に乗っても隅っこの方で、「♪ヨー、ホイ、ホイ」と音頭を口ずさんでいました。そのうち何とか形になり、いよいよ繁昌亭の初日がやってきました。
 出番の1時間前に楽屋入りすると、桂文福さんがいました。
 「あれ、文福さんも一緒の出番ですか?」
 「ハイ、正児師匠の1つ前にやらせてもらいます」
 こらあかん!文福さんは、私以上に相撲大好き人間です。相撲にまつわるネタや相撲甚句は得意中の得意です。
 「今席はどんなネタをするのですか?」と尋ねると、
 「もちろん、相撲ネタです。相撲甚句や数え歌、呼び出しの声やら、相撲よもやま話など、相撲オンパレードです」と胸を張って答えるではありませんか。エンヤコラセー、ドッコイセー!
 えらいこっちゃ、かち合うた!私が譲歩せないかん…。
 われわれの世界では、後から出る者がネタを変えないといけないのは常識です。1ヶ月の稽古が無駄になってしまいますが、仕方がありません。別のネタで頑張りました。「雷電」はまたの機会にしようと諦めました。そして、ちょっぴり文福さんをうらみました。文福さんは、そんな私の心など知る訳もなく、毎日、天真爛漫に自分の舞台を務め、爆笑を取ってニコニコしています。憎たらしいヤツや…と私は1人でひがんでいました。
 今席はずっとこの出番か…と思っていると、20日に文福さんが休みました。営業で地方に行ったため、桂春之助さんが代演です。もちろん、私は「雷電」を披露しました。エンヤコラセー、ドッコイセー!今日しかない、とここぞとばかり、親の仇みたいに必死でやりましたがな。ウケましたよ。おかげさまで、大爆笑でした。
 翌日、文福さんが戻ってきて、「正児師匠、お願いがあるのですが…」と、私を部屋の隅っこに呼びました。「あれ、怒ってるのかな?」「相撲ネタをしたのがいかんかったかな?」とおそるおそる話を聞くと、「私の知人が、『漫談のできる人で面白くて元気のいい人いませんか?』と聞いてきたので、師匠を紹介しました。すると、『ぜひ、ゲストに招きたい。12月のことですが、お願いしてくれませんか』と言ってるのです」。
 うれしい、ありがたい話です。憎たらしいなんて思ったことなどケロリと忘れて、「なんとまぁ、文福さんは優しくて親切でええ人なんやろ」と、すっかり文福さんのファンになりました。


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 No.18
 ◆行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

2007/10/22

 昭和39年、「安い、高い」という言葉をもじった「やすし・たかし」というコンビがいました。横山やすし君と私、レツゴー正児のコンビです。もちろん、私が横山たかしです。あるテレビ局が、その当時の写真が欲しいというので、アルバムや写真の入った袋をひっくり返して探してみました。
 ありました!今から43年も前の写真です。
やすし・たかし
白のジャケットを着て、バイクに乗って走るネタをしています。もう1枚は、「やすし・たかし」のテレビ初出演の時の写真で、黒のタキシードを着て、漫才をしています。昔、吉本にいた頃のうめだ花月の舞台です。やすし君が20歳、私が24歳の時です。
 ついでにほかの写真も見ました。兄のルーキー新一と、大正区の区民まつりで素人演芸会に出ています。素人の兄弟が熱演している懐かしい写真で、私が17歳の高校生、兄が22歳、そろばん塾の先生の時の写真です。
 私の卒業した高校は、大阪の港区にある市岡商業高校です。「質実剛健」をモットーとする厳しい学校でしたが、お笑い芸人が3人も出ています。今のようなお笑いブームのない地味な時代に3人も続くなんて、異例のことでした。私、レツゴー正児(漫才)と桂春蝶(落語)、桂三枝(落語)の3人です。高校時代、3人はお互いによく知っていました。私は剣道部と演劇部に所属し、春蝶は卓球部、そして三枝は私のいた演劇部に後から入ってきました。
「やすし・たかし」テレビ初出演

 その市岡商業も、吸収だ合併だといって、もうなくなってしまうようです。月日が経てば状況も変わります。一抹の寂しさを覚えます。
 ルーキー新一も死んだ、横山やすしも死んだ、桂春蝶も死んだ。「栄枯盛衰」は世の常です。
 私もレツゴー三匹の最初の頃は、じゅんを右肩に、長作を左肩にぶら下げて、舞台を走り回っていました。火事のネタで、じゅんと長作は、「ウ〜ウ〜、カンカン!」と大きな声を出している消防士の役、そして、その2人を乗せて走る消防自動車の役が私です。消防士たちは、「右へ行け!左へ行け!スピードを出せ!」と好き勝手なことを言います。昔はしんどい目をしながらもいつも頑張っていた強い男だったのに、最近は舞台へ出る手前の小さな段差につまずいて、転びそうになります。昔の強い私はどこへ行ってしまったのでしょう?
 でも、まだ口だけは達者です。見に来てやってください。「おとこ放談」レツゴー正児は、元気いっぱい大きな声で頑張っています。B1(ビーワン)角座で待っています。


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 No.17
 ◆シルバー大学演芸会

2007/10/10

 最近は不景気なせいか、余興といって、地方へ出張する営業が少なくなりました。講演もお笑い高座も、10年前に比べると5分の1に減りました。でも、今年の9、10月の敬老月にはいつも以上にイベントがあり、1日に2ヶ所かけもちもしました。別のプロダクションからの依頼でしたが、どちらも兵庫県で、明石で10時から、姫路で午後2時からという、近い上に余裕のあるかけもちでした。
 明石では、プロダクションの人が出番の前に、「師匠、今日は45分くらいやってください」と言ってきました。普通、お笑い高座は20分、講演なら1時間30分です。お笑いで45分は倍以上の長さです。しかし、ここは私も芸人、やりましたよ。シルバー世代の方々を前に、しゃべって、歌って、笑わせました。舞台狭しと動き回って45分、汗だくでがんばりました。皆、喜んでくれました。
 舞台を降りると、次の姫路の担当者が迎えに来てくれていました。ネタを気に入ってくれたようで、
 「客席で見ていました。面白かったです。うちでもこのネタをしてください」
 「45分もやったんですけど、そんなに長くていいんですか?」シルバー大学演芸会
 「もう少し長くしていただけませんか?」
 「え、50分ですか?」
 「いえ、1時間でお願いします」
 歌手のディナーショーやライブとは違うんですよ。でも、先方の希望です。姫路でもさらに熱を入れてやりました。河内音頭も取り入れ、15分延ばしてちょうど1時間。自分で言うのも何ですが、正児節のおとこ放談は、拍手喝采のうちに幕が下りました。
 帰り道で、車椅子のおじいちゃんが、「よかったよ、楽しかった」と声をかけてくれました。グループで来ていたおばちゃんたちは、「3人の時より面白かった!」、「1人でも迫力あるねぇ」と喜びながら手を振ってくれました。その笑顔を見て、汗も疲れも吹っ飛んでしまいました。
 最後にプロダクションの人が、「正児師匠をゲストに招いて大正解。大成功でした」と言ってくださいました。胸がキューンとなりました。


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 No.16
 ◆ご祝儀の受け取り方

2007/9/27

 レツゴー三匹は、現在3人別々に仕事をしています。私は講演活動がメインです。そして月に1週間は、「おとこ放談」と題して、B1(ビーワン)角座で一人高座も務めています。これもまた楽しく、いろいろなネタをしゃべることができるのでいい勉強になります。お客さんの中には、大向うから「正児!」と声をかけてくださる人もいれば、ご祝儀をくださる人もいらっしゃいます。
 先日、私が舞台に出ると、最前列にいた年配の上品な女性が、立ち上がって私に近づいてきました。手には小さな封筒を持っています。ご祝儀です。「ありがとうございます」と両手で頂戴して、女性が席に戻るのを待ちました。女性が座ってこちらを向いたので、もう一度礼をしてしゃべり始めました。しゃべり始めると同時に、祝儀袋を右のポケットに入れました。
 その時、私の手の動きを食い入るようにジーッと見つめている客がいました。私の友人、T氏です。20年来の友人であり、私の芸の評論家でもあります。この下町の評論家は、客席から客の立場で観察して、私が気がつかない所を指摘してくれます。いい事も悪い事も正直に言ってくれるからありがたいです。私がホームグランドのB1角座に出演する時は、毎日のように見に来てくれます。同じネタですよ。入場料を払って、私の出番が終わったら帰るのです。正児ストーカーです。ご祝儀の受け取り方
 祝儀を頂いた日も、その後、喫茶店でコーヒーを飲みながら感想を言ってくれました。
 「見事やったね、今日の祝儀の受け取り方は。スマートできれい、嫌味がなかった。大衆演劇や演歌歌手の人はオーバーに喜んで必要以上に媚びるけど、正児さんにはそれがない。それでいて感謝の気持ちが十分伝わってきた。ポケットへのしまい方も流れるようやったし、最後にはお客さんの拍手の中で挨拶しながら、女性に向かってもう一度頭を下げて…。いやぁ、実に鮮やかやった。まるで自分がもろたみたいに嬉しかったよ」と絶賛してくれました。
 家へ帰り、嫁に一部始終を話しました。嫁は台所で茶碗を洗いながら、面倒臭そうに、 「お世辞、お世辞、お世辞やがな!祝儀もろて嬉しそうにペコペコしてたって言うたらあんたも格好悪いやろ。そうか言うて、澄ましてた言うと生意気やろし、当り障りのないように上手に言うてくれてはんねん。感激屋のあんたのこっちゃ、ほめとくとコーヒーの1杯でもおごってくれるやろうと無理してほめてくれてるのがわからんのかいな、アホやなぁ」と言いながら、茶碗を落として割っていました。それも私の茶碗を。
 「あーあ、また茶碗買いに行かなあかん…」。


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 No.15
 ◆愛情ビンタ!後編

2007/9/13

 (…前編よりつづき)
 地元の人なら知っているだろうと思って自転車を走らせていると、店じまいをしているおじさんをみつけました。飲み屋の大将です。
 「すみません、この辺に『いろり』という店はありませんか?」
と声をかけると、
 「あれ?レツゴー三匹の正児さんとちゃいまっか?」と言われました。
 「そうですけど、店を探してるんです。『いろり』です、『いろり』」
 「やっぱりそうや、正児さんや」
 「いや、それより『いろり』を知りたいんです。知りませんか?」
 「そうか、テレビと一緒やなぁ。ところで、何の用ですか?」
 「さっきから言うてますがな。『いろり』という店、この辺におまへんか?」
 「さぁ、聞いたことないなぁ。そうか、正児さんやったんやなぁ。ところで、あとの2人はどうしてます?」
 話になりません。「おおきに」と礼だけ言って走り出しました。
 子供に「ごめんな、わからんかったわ」と言った時、後ろの方で、
 「あっ!おった、おった!おったでぇー!」と言いながら女性が自転車で走ってきました。愛情ビンタ!後編
 「この子のお母さんですか?」と聞くと、「違うけど、その子のお母さんらしい人が子供を捜してますねん」と後ろを指差します。ちょうどその時、後ろから若い女の人が駆け寄ってきました。私が子供を降ろすと、母親は子供の前に来て「アホ!」と一言、そしてバチンとビンタです。「勝手に外へ出たらあかん言うたやろ!」と、またビンタ。子供は大きな声でまた泣き出しました。
 私は中に割り入って、「お母さん、この子はお母さんを探して夜の街を歩き回ってたんですよ。30分以上も、不安で泣きながら、『お母ちゃん、お母ちゃーん!』って。ようがんばったねぇって、ほめてやってくださいよ」と言うと、若いお母さんは手を上げるのをやめて、子供の顔をじっと見つめてから思いきり抱き締めました。母親が泣きながら、「ごめんね、ごめんね」と言う声を聞きながら、私は安心してわが家へチャリンコを走らせました。
 <あぁ、そうか…あの2発のビンタは、「お母さんが、どんだけ心配してお前を捜してたか…」の愛情ビンタやったんや…>
 お母さんも泣きながら捜し回っていたのです。そして、叩かれた子供もすぐに泣き止んで、お母さんにしがみついていました。
 お母さんって、いいなぁ。


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 No.14
 ◆愛情ビンタ!前編

2007/9/4

 夜の9時頃、チャリンコで本町近くの久太郎町を西から東に走っていました。前方を3歳か4歳くらいの男の子が泣きながら歩いています。追いついて、「ボク、どないしたんや?」と聞くと、ひときわ大きい声で「お母ちゃーん!」と泣き出しました。自転車を降りて子供を抱き上げ、「よっしゃ、よっしゃ、おっちゃんが探したる」と言うと、次第に泣き止みました。愛情ビンタ!前編
 「ボクの家、どこや?」と聞くと、「あっち」と前方を指差します。子供を歩かせ、私はその横をチャリンコを押して歩きました。四つ角に出たので、「どっちや」と子供の顔を見ました。「ひだり!」と大きな声ではっきり答えました。「ボク賢いなぁ」と左に曲がったのですが、子供はついてきません。「こっちと違うんか?」と聞くと、子供は黙って指を前へ突き出しました。「あぁ、まっすぐか」と直進していくと、また四つ角です。「おい、どっちや?」の質問に、また「ひだり」と言います。でも、子供はまた曲がりません。指は前を指しています。あぁ、この子の「ひだり」はまっすぐのことか、と判断して、直進しました。
 子供はだんだん不安になってきたのか、またシクシクと泣き出しました。
 「ボクはお母ちゃんとどこへ行ってたんや?」と聞くと、「いろり」と答えます。「いろりか?いろりやな」と念を押すと、「うん」とうなずいています。そこで私は、「いろり」という店を探せば母親がいるか、何か手がかりがあるだろうと考え、今度は子供をチャリンコの荷台に乗せました。「おっちゃんのベルトをしっかりつかんどきや」と言い聞かせて、走り出しました。
 (後編につづく…)


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 No.13
 ◆3連続「殺すぞ!」

2007/8/22

 大阪の堺筋を自転車で走っていると、後ろから来た自転車に乗った人が追い越しざまに「こら!殺すぞ!!」と罵声を浴びせて走り去りました。前を行く私のチャリンコが邪魔だったのでしょうか。30歳くらいの男性でした。殺すぞ!
 その翌日、地下鉄の駅まで友人を見送りに行きました。階段を下りる友人に「さようなら」と振った私の手が、自転車で走って来た人の肩に当たりました。「こら!殺すぞ!!」と言って通り過ぎて行きました。また昨日と同じ言葉を耳にしました。
 そのまた明くる日の朝です。ポポを自転車の前カゴに乗せて散歩に出ました。
 「ポポちゃん、もう公園の近くやから降りて走ろか?」と話しかけると、横を歩いていた男が、「誰にしゃべっとんねん?」と私を睨みました。
 「この犬に言うとるんです」
 「犬はどない言うとんねん!」
 「どないも言うてませんが、うれしそうに尻尾を振ってます」
 「しょうもないこと言うとったら殺すぞ!わしになんか文句あるんか!!」
と言いがかりのような文句を浴びせられました。
 3日連続です。3人とも男性でした。皆、30歳前後で、もちろん別人です。家には奥さんもいるかもしれません。子供もいるかもしれません。家でカッとなれば奥さんにも言っているのでしょう。奥さんは悲しいですよ。子供は真似をしますよ。子供は親の後姿を見て育ちます。良い後姿を見せてあげてください。
 気分の悪い悪夢の3日間でした。

 場所は変わって、東京のホテルで講演があり、講師として上京した時のことです。エレベータを待っていると、外国人の男性が降りてきました。40歳くらいの人です。乗ろうとする私とすれ違うときに、私のショルダーバッグがその人の手に当たりました。私はとっさに「エクスキューズ・ミー」とお詫びを言いました。すると、その人は私の方を向いてにっこり笑い、手を振りながら、「イイエ、ドウイタシマシテ」と答えてくれました。きれいな日本語で、さわやかな笑顔で…。
 気持ちの良い1日でした。


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 No.12
 ◆「落ちまいぞ!」 台風こらえて セミが鳴く

2007/8/11

 台風一過とはいえ、残り風の強い朝、いつもの公園へポポと散歩に出かけました。風に振り落とされまいぞ、とセミが木にくらいつき、がんばって鳴いています。しばらくすると、前の方から小学校1、2年生くらいの子供が3人、虫取り網を片手に、「とった!とった!」と走ってきました。網の中ではセミが逃げ出そうとバタバタもがいています。子供たちはそのセミをつかみ出し、地べたに押さえつけて砂をかけ始めました。セミは砂の中に埋まり、そのままではおそらく死んでしまうでしょう。横を通った時に、よほど叱ってやろうかと思いましたが、付き添いのおじいちゃんとおばあちゃんが向こうのベンチから見ています。関係のない他人の私が子供たちを叱ることもないか…と黙って通り過ぎました。落ちまいぞ!
 50mほど歩くと、今度はいつものおじさんが座っていました。動物好きのおじさんで、ポポにも話しかけてくれる人です。おじさんはいつも、1匹のハトをかばいながら、そのハトや他のハトにエサをやっています。かばっているハトは左足の先がありません。指の部分が完全になくなってしまっているのです。誰かにいたずらで切り落とされたのでしょうか。右足を軸にしながら、左足はちょっとだけ地面につける弱々しい歩き方で、今にも転びそうです。そのハトはエサを食べる時に他のハトに跳ばされてしまうので、満足に食べることができません。だからおじさんが他のハトにエサを取られないようにかばっているのです。身なりは質素ですが、心の優しいおじさんです。
 そのおじさんが、今日はしょんぼりしていました。私の顔を見るなり、「あの子がいないのです。足の悪いあの子だけがおりません。どこかで倒れてしまったのでしょうか?」とわが子のように案じています。私も「あぁそれはかわいそうに…。元気でいてくれればいいんですけどねぇ」と言葉を返すだけで、何もしてあげることができません。
 公園を後にして家に帰ってきたのですが、公園の出来事が妙に気になり、尾を引きました。ハトのことはどうにもできないけれど、セミをいじめていた子供たちをなぜ叱らなかったのだろうと悔やまれます。保護者がいてもいい、おじいちゃんやおばあちゃんにうらまれてもいい。これから大きくなっていく子供たちに、なぜ命の大切さを教えてやらなかったのだろう。
 「セミは暗い地面の中で何年も生きてきて、やっと明るい太陽の当たる地上に出たんだよ。でも、地上ではたった2週間くらいしか生きることができない。その貴重な日々を一生懸命生きている命を、なぜ見守ってやらないのだ…」と。


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 No.11
 ◆長野の地酒を飲んだのは誰だ?

2007/8/3

 講演で地方へ行くと、みやげに土地の産物をいただくことがあります。前回の淡路島は玉ねぎでしたが、今回は酒の話です。
 昔の話になりますが、長野県の上郷(かみさと)町で地酒をいただきました。純米酒(喜久水)2本です。「ご自宅へ送りましょうか?」と言われましたが、手間をかけるのも悪いと思い、持って帰ることにしました。2本を一緒にしてしっかりと結わえて持ちやすくしてくれました。カバンを右肩に、衣装ケースを左肩に掛け、酒は胸に抱えました。長野の地酒
 高速バスの飯田駅までは車で行き、そこから名古屋駅まではバスでした。名古屋のバスセンターから新幹線の乗り場までが一苦労です。3階から1階まで歩いて降りて駅ビルに入り、長い連絡通路を人ごみをかきわけて走りました。出発まで時間がなかったので急ぎました。青息吐息でしたが、かろうじて間に合いました。
 新幹線の1時間はゆったりしていましたが、新大阪の新幹線の駅から地下鉄の駅の間がこれまた長い。「えっちら、おっちら」とまた汗をかきました。地下鉄の階段を上るときにはもう気力しか残っていませんでした。やっと階段を上って、曲がるときに1升瓶がカチンと鉄柱に当たりました。
 「あれっ?」と思っている間に、「トク、トク、トク…」と酒が足元に流れ出しました。みるみるうちに酒の匂いが広がり、あっという間に酒1本が完全にパァになってしまいました。片づけを手伝ってくれた駅員さんに十分おわびをして、なんばに向かいました。
 信州の長野から胸に抱えて持って帰ってきた純米酒1本は、地下鉄新大阪駅のプラットホームが全部飲んでしまいました。


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